躰道の歴史と歩み
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躰道の歴史と歩み
躰道の歴史
昭和20年第2次世界大戦の末期、玄制流空手道祝嶺正献最高師範は特攻隊員として、 沖縄近海で作戦中の敵艦に攻撃の内命をうけ、肉迫必中の術策を懸命に思案。
自然界の風・波・雲・渦・雷から旋・運・変・捻・転の運動法則を基にした動態に発想にえて、 三次元の運動空間に適応できる実技を編み出した。
昭和21年大分県山中、23年沖縄無人島にて創作、24年静岡県伊東市にて実技の公開、 28年より10年東京中心に大学・自衛隊・会社・道場等で実験的に指導。
昭和38年「躰道」として旋・運・変・捻・転の実技を科学的に解明するために、 人間の存在、社会の状態、宇宙の処理等と、武道における公理の根源要素、法形完成の思想との 相関関係を基に原理化をはかる。
昭和40年に動功操体の原理、制御相剋の原理、体気呼吸の原理、法形<体 制 玄>経絡 <陰陽の調整>などと「物理像」「心理像」「整理像」「情緒像」を一元的に体系化して 「躰道」を集大成した。

躰道の歩
大正14年→沖縄県名護市祝嶺春範先生、生まれる
昭和 8年→佐渡山安恒先生に師事、沖縄空手を学ぶ
昭和12年→岸本祖孝先生に師事、沖縄空手を学ぶ
昭和20年→祝嶺正献最高師範によって三次元運動空間に適応できる実技を研究
昭和21年→大分県明治村山中にて運技・変技・転技の一部を創作
昭和22年→和子様とご結婚
昭和23年→沖縄県国頭村海上にて運技・変技・転技の基本技の一部を創作
昭和24年→静岡県伊東市にて実技公開指導
昭和28年→大学・自衛隊・会社団体にて指導開始
昭和29年→神田共立講堂にて祝嶺最高師範演武、 公相君大の型・試し割り瓦35枚、披露、玄制流を名乗り、大学・自衛隊・道場中心に指導、 転位の型・地位の型・人位の型・三才の型を指導
昭和31年→大日本武徳会から空手道八段範士の称号授与
昭和37年→新空手道教範執筆、旋技・捻技完成躰技と呼称
昭和38年→躰道実技を解明、人間の存在・社会の状態・宇宙の処理・武道公理・ 根源要素、法形の思想関係を原理化する
昭和39年→全日本空手道連盟参加、新空手道教範完成
昭和40年→動功操体の原理・制御相剋の原理・体気呼吸の原理・法形・ 経絡等物理像・生理像・情緒像を一元的に体系化し躰道を集大成、 躰道本院設立し躰道宗家となる。
日本躰道協会設立し会長に就任、旋体の法形・運体の法形指導、全日本空手道連盟撤退
昭和42年→第1回全日本躰道選手権大会開催(町田市)、 第1回全国学生躰道優勝大会開催、躰道新報創刊
昭和43年→第2回全日本躰道選手権大会東京体育館にて開催、 日本躰道協会事務所中野に開設、日本躰道協会媒体拡充導入大学の説得と 外部大衆に説破作戦
昭和44年→変体の法形・捻体の法形・転体の法形指導、 アポロ月面着陸に躰道実技の三次元空間での球体運動状態を再確認
昭和45年→玄位の法形発表、新種目女子法形・躰道の歌発表
昭和46年→日本躰道協会融合強化、建設省・高校等に躰道部発足、 全日本選手権二日間へ、新種目団体法形競技
昭和47年→動功八軌士誕生
昭和48年→天制の法形発表、第1回全国高校躰道優勝大会開催、 第1回全国実業団躰道優勝大会開催
昭和49年→呼吸整体法発表、第1回全国範士大会開催
昭和50年→日本躰道協会分結拡散導入、三十二軌士誕生、 全国36都道府県に269躰道協会加盟、新種目壮年法形競技、 国外12ヶ国にて外国躰道指導統括
昭和51年→活命の法形発表、新種目女子相対競技
昭和52年→祝嶺制献から祝嶺正献へ改名
昭和52年→第1回全米躰道選手権大会開催
昭和54年→第1回全国少年少女躰道優勝大会開催、スペイン躰道協会発足
昭和56年→陰玄の法形発表
昭和58年→世界躰道連盟設立し総監に就任、躰道国際局発足
昭和59年→第1回国際親善大会開催(東村山市)
昭和61年→延命の法形発表、新国技館(20回大会)で行う
昭和62年→第1回ヨーロッパ躰道親善大会開催
昭和63年→躰道概論発刊、転陰の法形発表
平成元年→第2回国際親善大会開催(仙台市)
平成 2年→全日本選手権(新築東京武道館にて開催)
平成 3年→第1回全国社会人躰道優勝大会開催
平成 5年→第1回世界躰道選手権大会開催(東村山市)
平成 9年→第2回世界躰道選手権大会開催(フィンランド)
平成12年→玄制流主席師範斉藤先生逝去
平成13年→第3回世界選手権大会開催(沖縄那覇市)、 日本武藝躰道宗家・躰道本院・祝嶺正献逝去
平成14年→日本武藝躰道宗家襲名、二代目祝嶺正献を和子様襲名(東京會舘)、 八段範士八人後見人(高道玄三朗・志摩制基・近藤光男・池内和彦・土井肇・ 中村正弘・板山昌司・斉藤登